2013.03.10 23:30(日)
朝の作業といえば
朝刊を取りに郵便受けへ
小学生低学年の頃までは牛乳も取りに行ったなぁ
パソコンから手軽に持ち運べるスマホやタブレットがだんだん浸透してきて
書籍も新聞もタブレットで見られる
朝新聞紙を取りに行く儀式が無くなる日が来るかなぁー
急に新聞社から「明日から朝刊刷るのはやめます」と最後通告がくるかもしれない
それはレコードからCDに変わったとか
LDがDVDに変わったりとか
と同じかなぁ・・・避けられないし受け入れるしかない
エコ的なことで「紙⇒電子化」という構図が随分前から言われていて
実はいつもと違う朝は突然やってくるのではなくて
徐々に変わっていて、ふと気づくとそうなってる
普段は平素はいつもと同じ朝だと思っているというか、
それ以前にその朝がいつもと同じかなんて考える事もないし・・・
気が付くといつもと違う朝になっている
それは物であったり家族であったり・・・
でもだんだん現物や実物がなくなってくるのは・・・
なんて言ってみても仕方ない
思いつきで新聞紙だけに感傷的になってもしょーがないのかもしれない
もう既に色々なものが現物ではなくなっているのだから