君の記憶のパートナー


† 事件の説明

所謂凡庸な人生、平凡な人柄だと思っている。 47歳になった。 自分にとっては非現実的な感触だ。現実派受け入れなければならない。 受け入れると言うより、あきらめなくてはならないのかもしれない。 何を?・・・つまり色々な意味で物事がある程度の理解をしてしまったことに対して。 つまり平たく言えば、これから先の自分の未来のこととか。

自分にとっての大きな事件といえば、中学卒業の時の初体験、受験の失敗、 数回の転職と一回の離婚。そのぐらいだろう。 今は十歳年下の女性と再婚して二人の子供に恵まれている。 一戸建ての家も買った。そして現在に至る。更に輝ける凡庸な人生に「カージャックの被害」も付け加えられそうだ。

その日、夜十一時頃妻から電話があった。 僕は駅まで迎えに行った。そして車の中で事件の一部始終を話した。 結局妻に話すことにしたのは、今度接触があった時のことを想定してだった。 今度は僕ではなく妻に対して来るかもしれない。それに誰かに目撃されている可能性だってある。 外から見てたらカージャックに見えない。つまり若い女性と車に乗っていたということになる。 しかも妻が同窓会に行った日に。それが妻の耳に入ったら、あまりうまくない状況になってしまう。 その時の言訳として「心配すると思って黙っていた」というのは、あまり説得力がないような気がした。

「カージャック?ホント?」と妻はいった。
「そんなことって有り得るの?怪しいな・・・前の奥さんとか?昔の恋人とか?」 と立て続けに妻は疑問を投げかけた。
「若い女性だった。多分三十歳前後だと思うな。でももし浮気だったとして、 言訳にカージャックは使わないな」と僕はいった。
「そうね。テーブルにあったケーキ知らないって聞かれて、アリが運んでいったって答えるようなものよね」
「でも本当だよ」と僕はいった。
「最寄の駅迄、乗せてほしかったんじゃない。新手のヒッチハイク。タクシー代の節約」 と妻は茶化していった。
「本当だって」
「嘘とは思ってないけど、やっぱり不思議に思うだけ」
「幾らなんでも駅へ行くのに手榴弾は使わないよな」
「だって普通じゃないんでしょ。その人」
「普通じゃないね」と僕はいった。今の話を吟味するように妻は少し沈黙した。 そして暫くして「子供達あなたの作ったカレーちゃんと食べた?」といった。
「お蔭様で好評だったよ。お父さんが作るのって珍しいから余計美味しく感じるんだろうな」と僕はいった。  結婚して九年経っている。子供は一人は女の子で小学三年生、もう一人は男の子で小学二年生だった。 それなりに幸せだと思っている。お互いに信頼しあっているし、 結婚当初よりもお互いのことが分かっているつもりだ。
「そういえば前の奥さんも普通じゃなかったんでしょ」と妻はそういって車を降りた。 やはり多少は疑いを持っているのかもしれない。それにしてもカージャックの女のことで、 元妻を関連付けるなんて流石は女性だなと妙な感心をした。

 † 最初の結婚生活

一回目の結婚は二十八才の時だった。彼女も同じ歳だった。 カップリングパーティーで知り合って一年ほど付き合い結婚した。 お互いに一目惚れだった。そして約一年間一緒に暮らして別れた。その暮らしは「普通」じゃなかった。 あの時僕達には幾つかの決まりがあった。

一.暫くは子供は作らないこと。
一.仕事はお互いに続けること。
一.他の人とセックスは性欲の充足の為であれば許容する。(一々報告はしない)
一.必要以上な干渉はしないこと。
一.各々の部屋持ちそれぞれの寝室とすること。
一.夫婦間のセックスはしたくなった方の部屋ですること。
一.セックスの後はそれぞれの部屋に戻って寝ること。
一.原則的には平日の食事は各個人ですること。但し一緒に食事することを否定するものではない。料理はしたいほうがすること。相手に強要はしないこと。
一.休日は出来るだけ一緒に過ごすこと。

 簡単にいうと平日は壁を作り休日は壁を取り除く。但しセックスは随時応じる、という感じだった。 結婚してそのことを聞かされた。結婚前には「結婚後も仕事は続けるから。 新しい形の夫婦にしましょう」ということしか聞いてなかった。 まさかこんなに細かい決まりを作っているとは思いもよらなかった。 結婚式は親族だけの質素な式だった。それは僕と彼女の二人の意向だった。 無駄に派手な式は嫌だった。その点では意見は一致していた。

新居は彼女が住んでいたマンションに二人で住むことにした。 「決まり」を遂行するのに十分な間取りを持っていたから。 彼女の実家は比較的裕福で、マンションも父親に買ってもらったとのことだった。 新婚旅行から帰ってきてからの最初の日にその「決まり」が書かれた紙を渡された。 僕が読み終わると「質問とか意義はある?」と聞かれた。 質問も意義もなくはなかったが、僕は「ない」と答えた。 結局彼女からその「決まり」に関しての説明はなかった。 ただ「貴方を愛しているわよ」と補足されただけだった。 「愛は補足なんだな」と僕はその時思った。でも何もいわなかった。 彼女は美人だったし、勿論愛していたから。

自分もそうなるであろうと思っていた普通の夫婦の形態にはならなかった。 「普通」というのは妻は家庭にいて、夫は外で仕事という図式だ。僕の両親もそうだった。 彼女は背も高く痩せていてスタイルも良かった。 顔だってモデル見たいに小顔で目鼻立ちもはっきりしていた。 そういう意味では不満なところは一つもなかった。 一緒に歩くことが誇らしくもあった。それに僕だってそれ程悪くはない。 決してハンサムというタイプではないが、彼女より背は高いしさっぱり系の顔立ちだった。 今でも四十を超えてもジーパン履いていると「学生さん」といわれることがあるぐらいだ。 (流石に最近は言われないが・・・) そういう意味では所謂お似合いのカップルだった。

でも僕達は何処にも辿り着かなかった。
それが離婚の理由の一つだったのかもしれない。 提案されたその生活形態はある意味楽だった。簡単にいえば独身の一人暮らしと同じだった。 違うのは直ぐ近くにセックスの相手がいるということ。 もう少し酷い言い方をするなら自宅にソープランドがある感じだった。 初めはなんとなく世間一般に対して誇らし気な気持ちになっていた。 「私達は先端をいってるのよ。新しいのよ」という感覚があった。 でも干渉しないということは、争いもないかわりに、 心の繋がりという意味では深くはならなかったのかもしれない。  僕が何処に辿り着きたいのかは、自分でもはっきりとは分かっていなかった。 でも普通の生活をしたかったのは確かだった。

彼女はインテリアコーディネーターの仕事をしていた。彼女は常に仕事を第一優先にしていた。 僕の知っている同年代の他の女性より、仕事に対して真剣だったことは確かだった。 でも結婚前や結婚当初はそれほど仕事一辺倒ではなかった。しかし段々と他のことは、 僕のことは二の次三の次になっていた。 結婚して半年後には「将来は独立して自分の事務所を持ちたい」というようになっていた。 夜遅くまで見積もりを作っていることも多くなった。そして資格試験もあっさりと合格した。 あの「決まり」もある意味そのための物だったのかもしれない。 少し休んだ方がいい、といったこともあったが「簡単な仕事じゃないんだから」といい返された。 確かにそれは事実だった。インテリアといっても家具だけではなく、 壁や床や天井そして照明の配置や家具との合わせ方、 あらゆる要素を考慮し空間をデザインしなければならなかった。 さらに顧客、建築士、現場監督との調整も必要のようだった。 結局僕達は平日だけじゃなくて週末にも干渉しないようになっていった。 たまに話しても恋人の時のように話題が作れなかったし、その必要もないように思えた。

離婚の話を切り出したのは僕だった。彼女はあっさり「いいわよ」といった。 まるで僕がそういい出すのを予測してたかのように。争いもなく涙もなく淡々と離婚することになった。 彼女から要求も要望も何もなかった。 僕は最後に「他の人と性欲の充足の為にセックスした?」と聞いてみた。 「貴方は?」と切り替えされ、「してないさ」と僕は嘘をいった。 一回だけしたことがあった。行摺りの女性で、名前も住所も分からなかった。

「私は何回かしたわ」
「僕の知ってる人かな」
「そんなこと聞いてどうするの」
「そうだね。それにそんなことは問題じゃないんだよね」と僕はいった。
「普通の夫婦の生活のが良かった?」と彼女は聞いた。
「そうだね」と僕は正直に答えた。
「独立して自分の事務所が持てるといいよね」と僕はいった。彼女は「ありがとう」とだけいった。
「最後に一つ聞きたいんだけど、君にとって結婚って必要だったのかな」
「必要だったわ。でも必要の仕方が貴方とは違うかもしれない。 でも今は別れた方がいいと思う。これからも時々会ってもいいのよ」と彼女はごく普通にそういった。

 やっぱり彼女の愛は補足のように聞こえた。 でも彼女が僕以外の男性とセックスしたというのは嘘だと思った。 根拠はないが、なんとなくそんな気がした。僕は「していない」といったが、彼女は信じただろうか。 あれから彼女には会っていない。勿論お互いに連絡することもなかった。

 † 説明の続き

妻が風呂に入っている間、僕はサラミとチーズを切ってビールのつまみを作った。 二人とも少し小腹が空いていた。 居間で二人でビールを飲みながら今日のことを話した。子供達はもう寝ていた。
「<その人どんな人だった?」と妻が聞いた。
「んー細かったな。病的に細い感じがした。どちらかというと美人だったけど。少なくともブスではなかったよ」
「そのまま連れ去られたかった?」と妻が聞いた。
「クマゴジラみたいな男が乗り込んで来るよりいいかもしれない。 それはそれでドラマチックだったかもしれないけど、今頃海に浮いてるかもしれない」
「きっと浮いてないと思う。重りを付けられて沈んでいるよ。 浮いてくるのは五年後ぐらいかな。離婚以来の大事件ね」と妻は笑っていった。
「そうかもしれない。でも何だったんだろうな・・・」
「兎に角なんでもなくてよかったけど」
「警察には?」
「行ってない。届けた方がいいかな」
「分からないわ」
「何も被害がないからな。それに説明するのも面倒だし」
「今の所はね。なんか手掛かりみたいなのってないの」と妻はいった。
「何もないな」と僕はいった。女がサングラスを置いていったことは、 妻には話さなかった。何故かいわない方がいいような気がしていた。

 なんとなく重苦しい雰囲気だった。それを断ち切るように僕はテレビをつけた。 妻は傍にあった女性誌を読み始めた。 暫くして「やっぱり警察に届けた方がいいかしら。変なことになっても嫌だし」と妻はいった。 「どうしようか」と僕は曖昧に答えたが、それで話は終わった。テレビをぼんやり眺めていた。

「今日はパソコンしないの」と妻は聞いた。  寝る前はいつもパソコンでメールの確認やオークションの経過を見ていた。 時々チャットで会話を楽しむこともあった。 チャットや自己紹介サイトで不特定多数の人と話すことを、妻は快く思っていないようだった。 相手に女性もいるからだ。単なるエロサイトの方が気にならないようだった。 バーチャルな世界だから、といつも言訳するみたいに説明していたが、納得出来かねる様子だった。

 妻とは職場結婚だった。職場といっても会社は違っていた。 お互いコンピュータ関係の会社に勤めていて、とあるシステム開発を担当していた。 そこで同じプロジェクトに属していて、親しくなっていった。 妻は小柄で少しふっくらしていて、誰からも好かれるタイプだった。 でも額が広く聡明な印象も合わせ持っていた。 僕と違い細かい所もよく気がつき、自分の足りない所を良くカバーしてくれていた。 遅くまで二人で作業することも多く自然に関係が深くなっていった。 勿論、離婚経験のことや、その理由も結婚前には話していた。 もう離婚して七年ほど経っていた。 妻もパソコンは扱えるが今はインターネットを時々するだけであまり興味がないようだった。
「今日はもうメールの確認とかしたから。 オークション今出してるの一件入札あったよ。値段上がるといいな」と僕はいった。 オークションはちょっとした小遣い稼ぎだった。 取っておいた一九七〇年代の雑誌は比較的よく売れた。雑誌の内容によっては意外な高値がつくものもあった。

暫くして「ねぇ、どうして私と結婚したの」と妻はいった。
「急にどうしたんだ」
「ちょっと聞いてみただけ。ねぇもしネットで女の人が遊び前提で付き合いたいって アプローチしてきたらどうする」妻は急に話題を変えた。
「そういうのは殆ど出会い系サイトのサクラだから。お金取られるだけだよ。 ひょっとして同窓会で何かあった?アプローチされたの?」と僕はいった。
「そうじゃなくて。ほらネットの出会い系サイトとか、 そういう話もあって、騙されたとかいう人もいたのよ」
「うーん、大人だったら騙されるほうにも問題あるなぁ。 だってセレブでお金上げるから割切った関係とか、夫が相手にしてくれないから寂しいとか ・・・普通分かるよなぁ」と僕はいった。妻はふーん、といってまた雑誌に視線を戻した。

「今日帰りに人とぶつかって、あのお出掛け用のメガネ壊れちゃったんだ」と妻はいった。 また話題が変わった。
「新しいメガネだったのにね。直りそう?」
「片方割れた・・・形も少し歪んだけど直ると思う」
「ぶつかった相手は何ともなかった?」
「相手も女の人で転んだけど大丈夫だった。私も転んだし。 弁償するからっていわれたんだけど断った。相手だけが悪いわけじゃなかったから」と妻は残念そうにいった。 同窓会から帰ってきてから、なんとなく沈んでいるようだった。 カージャックやメガネが壊れた所為だろうか。でもいつもなら良くない話題でも、もっと快活に話している。 この時僕は妻が何故沈んでいるのかは分からなかった。

 そして一週間が過ぎた。女が再び僕の前に現れることはなかった。 その一週間注意したことは「車を運転するときは必ずドアロックをする」だった。 といっても平日運転することは殆どない。普段、運転は休日だけだった。 「続きはないんだな」と何となく期待はずれな気持ちになっているのは不謹慎なことだろうか。 なんとなく中途半端な気持ちだった。 でもどうして女は降りる間際にサングラスを外したのだろう。普通なら顔は隠す筈だ。 実際、顔を見ようとした時「見るな」といわれている。でも最後に外した・・・理解不能。

全体的な印象は色白で細い身体。手榴弾を持っていた指も折れそうに細かった。 そしてサングラスを外した時、その瞳には何ともいえない感情が隠れていたように思えた。 今まであんな目で見られたことはなかった気がする。 不思議なのはサングラスを外すしたことだけじゃない。 どうして後ろの座席じゃなくて助手席に乗り込んだのだろう。 後ろでナイフのほうが手榴弾よりずっと確実で安全だと思う。 もしカージャックのマニュアルがあるとするなら「必ず後ろの席に乗り込むこと」と書いてる筈だ。 勿論「サングラスは外さないこと」とも書いてる筈だ。  僕はサングラスを引き出しから出して眺めた。女が残していったサングラスだ。 しかも女はサングラスを置いていった。 もしカージャックのマニュアルがあるとするなら「髪の毛一本現場に残すな」と書いてる筈だ。 女は電車に乗って何処へ行ったのだろうか。僕はもう一度会いたいと思っている。 危険がないという勝手な前提の下にそう考えている。そして会って理由を聞きたかった。



つづく(一ヶ月以内には掲載予定)
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