君の記憶のパートナー


† パーティー

十一月十九日は元妻の誕生日だった。つまり誕生パーティーに誘われたということになる。 その日まで約一ヵ月。それまでに腹を決めればいいと高をくくっていた。しかし考察も結論も毎日先送りになっていった。 子供が夏休みの宿題を明日やる明日やるといいながらズルズルと過ごすのと似ている。

しかも相談相手はいない。勿論妻に相談するわけにはいかない。 学生時代の友人も年賀状の遣り取りだけ。社会人になってからの友達は1人もいない。 仕事場で一緒の鈴木君に相談するわけにもいかない。 そもそもあまり人付き合いのいいほうではい。 しかし仮に相談する相手がいたとしても「行かないほうがいい」といわれるのが落ちだろう。

結局何の解決案も無く当日を迎えてしまった。 相変わらず選択肢は三つだけだった。
 ・行ってセックスする
 ・行ってセックスはしない
 ・行かない
全く進歩はなかった。 それに元妻の「私と寝て」という発言があるにしても、セックスのことしか考えていない自分が情けなく思えた。

行かないのがベストなのは分かっている。 こういう時は選択後のリスクが少ないものを選べばいいことも分かっている。
「行かないを選べないほどに元妻とセックスがしたいのか」と自問自答してみた。 確かにセックスはしたい。 でもその欲求の根本はホテトル嬢やソープランドに行って妻とは違う女性とセックスしたいという 男性としての純粋な性欲と変わらない。元妻には申し訳ないけれど。

「もしかしたら悩みが有って相談したいのかもしれない」そういうことも考えられる。 それが彼女の表現ではある種の照れから「寝て」になったのかもしれない。 そうなると選択肢としては「行ってセックスはしない」が急浮上する。
結局行って見なければ分からないのだ。 けれど行かなければ平穏無事は保障される。

就業のチャイムが鳴った。元妻に貰った名刺を机の引き出しからだして財布に入れた。 名刺はずっと会社の机の引出しに入れていた。 そして定時に退社した。 一応家には飲み会で遅くなると電話した。 デパートでワインを一本買ってプレゼント用に包んでもらった。 そして一ヶ月前に元妻と入った喫茶店で時間を潰した。 準備をしていながらまだ迷っていた。

一ヶ月前元妻と再会してここでお茶をのんだ。
元妻は相変わらず綺麗だった。当時からスリムな体系だったが、今はそれ以上に痩せているように見えた。 それに比べて自分は少し太っていた。それが少し恥しかった。 「私と寝て」というセリフは「パーティーに来て」という意味で使ったのかもしれない。 ただ単純に久しぶりに元夫と一緒に楽しみたいと思っているだけなのかもしれない。
そういえば再婚したのだろうか。今まで再婚しているかなんて考えていなかった。 また同じような規則を前提に夫婦生活をしているのだろうか。 しかし夫がいるのに、元夫は呼ばないだろう。 もしかしたら二度目の離婚をして気が滅入っているのかもしれない。三度目かもしれない。 いや再婚するから一応元夫にも報告しておこうとしているのかもしれない。

・・・堂々巡り。我ながら呆れたものだ。

約一時間喫茶店で時間を潰し、結局元妻のマンションへ向かった。 「セックスだけはしない」と強く心に決めていた。 セックスさえしなければどんな言訳だって正当化できる・・・できる筈だ。

電車に乗り継ぎ約四十分後に元妻の住んでいる駅に着いた。
駅前の住宅地図を見てマンションの場所を確認した。 急行電車が止まらない静かな小さい駅だが、高級住宅街として有名な所だった。 マンションは駅前の通りを道なりに行けばいいようだった。
やや上り坂の道を歩いた。車が一台通れるぐらいの幅で一方通行だった。 道なりに大きな一戸建ての住宅とマンションが並んでいた。 歩きながら「一戸建ての住人とマンションの住人間でいざこざはないのだろうか」とぼんやり考えた。

迷うことなく十分程でマンションに着いた。高層ではないがいかにも高級そうな建物だった。 五階に元妻は居る。僕はマンションの前で暫く佇んでいた。この階段を登れば入り口だ。 当然セキュリティー管理があるマンションだろう。 女性が一人マンションに入っていった。ちらりと見られたような気がする。 入り口で何か認証の行為を行っているようだった。 階段の前で躊躇していると何人かの人とすれ違った。 不審に思われ警察に通報されても面倒なので、取敢えずマンションから離れるとこにした。 歩きながらもう一度考えればいい。来た道を戻る方向に歩き始めた。

勇気がなかった。
「逢って気軽に会話して、さよならすればいいだけだ」と頭ではそう思っているのに、 踏み出せなかった。

部屋に入ると元妻はもう既に裸体になっている。 あるいは夫がいて自分だけ密かに気まずい思いをする。 創造力はさっきより一層具体的になっていた。 いきなりナイフや爆弾で脅される・・・と考えた時夏の事件のことを思い出した。

あの手榴弾を持った女・・・もしかしたら元妻と関係があるのだろうか。
例えばあの女は元妻と僕の子供。実は妊娠していて離婚してから黙って出産した。 もしそうなら十六、十七歳・・・ちょっと年齢が合わない。 あの事件の女は三十歳前後だと思っているから。 もう少し発展させると、僕との結婚前に既に隠し子がいて、 元妻が高校生の頃生んだ子供なら年齢的には合う。でもそれだと僕との関連は薄くなる。 可能性としてはゼロではないがゼロではないだけのこと。

もしかしたら僕を不幸にしたいだけなのかもしれない。混乱させたいだけ。 セックスでも悩みでも再婚でもない理由。それなら全て説明がつく。 そんな風に考えているうちに駅まで戻ってしまった。

取敢えず駅前のコンビニエンスストアに入った。店内を一通り回って直ぐに出た。 そしてまたマンションに向かって歩き始めた。今度は何も考えられずぼんやりと歩いた。
マンションに着くとその前でもう一度五階の方を見上げた。殆どの窓に灯りが点いている。 暫くぼんやり見上げていた。 もしかしたら五階から僕がマンションの前で迷っている姿を見ているのかもしれない。 きっと元妻は見ている筈だ。
僕は五階の窓を見ながら一人呟いた。

「そうだよ。僕は勇気がないんだ」
「誕生日おめでとう。もしかしたら僕を恨んでいるかい」

結局、また駅に向かって歩き始めた。今元妻と会っても何処にも辿り着けないだろう。 あの時と同じだ。セックスするしないの問題じゃない。
プレゼントのワインは電車の網棚にプレゼントした。 妻もワインは好きだったが、元妻のために買ったワインを渡すのも気がひけた。

† アリバイ

元妻のマンションへ行ってから数日たった。 仕事の帰りはいつものように本屋へ足を運んでいたが元妻が現れることはなかった。 本屋に行く度元妻がいるんじゃないかとドキドキしていた。 それでもその本屋に行ったのは会いたい気持ちもあったからだった。

本屋を出て駅に向かって歩いている時に、突然後ろから肩を叩かれた。 振り向くと見覚えのない五十前後の男が立っていた。 暗い色のトレンチコートの胸に手を入れて警察手帳を取り出すと僕の目の前に差し出した。 状況がうまく理解出来なかった。
彼は僕の名前を確認した。僕は「そうですが・・・」と不審に思いながら答えた。 刑事の身体から煙草の匂いがした。

「吉田吉美さんはご存知ですよね」と少し間を置いてから刑事はいった。
「知ってますが・・・」と僕は答えた。元妻の名前を聴いて僕は少し動揺した。嫌な予感と不安が一瞬にして 僕を襲った。
色黒で頭はポマードでオールバックに固めていた。 テレビドラマによく出てくる燻し銀のベテラン刑事のような風貌だった。 愛称はきっと「ヤマサン」か「チョーサン」だろう。 不安の最中、僕は何故かそんなことを考えていた。



つづく(一ヶ月以内には掲載予定)
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