★愛のむきだし
2009年2月封切りだった「愛のむきだし」は観賞する機会に 恵まれず半年近く過ぎてしまっていた。 せめてDVD化して欲しいと思っていた矢先チャンスが訪れた。 7月に再上映されることになった。後は上映時間が合えば見られる。

しかし約4時間の長編のためか平日の10時から1回だけだった。 またまた落胆していたところ、仕事が徹夜になるためシフト勤務で平日の日中があいた。 本当は夜に備えて寝ないといけないんだがそういうわけには行かない。 このチャンスは逃したくない。多少寝なくてもオレは大丈夫さ。 世界がオレにこの映画を見させるためにあらゆる手段を使って画策したに違いない。 そんなにオレに見て欲しかったか。・・・ならば仕方ないってんで見させて頂いたというわけである。

7月に上映してくれた渋谷UPLINKさんチャンスを演出してくれてありがとう。

この映画、ひとことで言うなら「愛と感動のパンチラ」である。 おっぱいは皆無だったが約4時間の上映に0.1秒も飽きることはなかった。 しかもパンチラだけでエロ魂を満足させてくれるなんて、ただただただただただ頭が下がる思いである。

いくらでも何度でもおっぱいを出せる機会はあったのに敢えて出さない。 しかもエロ魂を満足させる。この監督はただものではない。 もし点数をつけることを許されるならば100点満点で10000点だろう。 奇しくも「美代子阿佐ヶ谷気分」と同点である。

敬虔なクリスチャンの家庭に育ったユウ(西島隆弘)だが幼い頃母親は病死。 父親と平穏に暮らしていたが自由奔放な女カオリ(渡辺真起子)の出現で父親が壊れ始める。 母親死後、信者から神父になった父親に結婚を迫るその女はユウの家庭を壊し突然姿を消してしまう。 優しかった父親は自分が女に翻弄されたことの影響で、突然息子のユウに辛く当たるようになり、 ユウに毎日懺悔を強要する。罪があろうがなかろうが罪の告白を強要した。 いつしかユウは嘘の罪を告白するようになってしまう。

そんなユウはある日不良仲間と友達になり、本当に罪を重ねる日々を送るようになる。 そしてとあるエロオヤジの元で盗撮によるパンチラ撮影の修行をするようになる。 (現実的には不自然なのに、全然そう感じさせないんだなぁ)

そして毎日パンチラ撮影をする日々を送る。 ある日パンチラ撮影の勝負で負けた罰ゲームで女装していた時、 女子高校生のヨーコ(満島ひかり)をチンピラから助ける。助けるというか一緒に戦う。 そして一目惚れする。運命の人と感じる。死ぬ前に母親がいっていた、 自分にとってのマリア様と思える女性だった。 しかしヨーコはあの父親を翻弄したカオリの娘(正確にはあの女の前の夫の連子)だった。

どういうわけかカオリはまたユウの父親の所に押しかける。 ユウの父親は結婚する前提で娘と一緒にユウの家で住むようになる。 しかしユウはヨーコには嫌われる。ヨーコは女装したユウ扮するサソリに恋していたから。

そんな状況の中あるカルト教団の幹部コイケ(安藤サクラ)が信者を求めユウの父親に目をつける。 ユウの一家はヨーコをも含めカルト教団に囚われ洗脳されてしまう。 ユウはなんとか逃れヨーコを助け洗脳をとこうとするが上手くいかない。 結局教団の追手に見つかり二人とも囚われ自分も洗脳されることになる。 しかし洗脳された振りをしてヨーコを助ける機会を伺う。 そして機を見て昔の仲間(パンチラ撮影の仲間)から武器を密かに調達しカルト教団の本部へヨーコを助けるべく攻撃をしかける。
だがヨーコは洗脳されているためユウの助けを拒む。 ユウは爆弾を爆発させる。警察が乗り込みカルト教団の悪事が暴かれ解体される。

ユウのヨーコ救出の作戦は成功するがヨーコは元に戻らない。 ヨーコは親戚に引き取られる。 ユウは精神に破綻をきたし精神病院で暮らすことになる。 ユウは自分がヨーコを助けた時のサソリと思い込んでいた。

親戚で暮らしていたある日、ヨーコはユウの愛に気づきユウに会いに行く。 しかしユウはもう自分がユウであることもヨーコのことも理解できない。 ヨーコは絶望するがユウを助けたいと思う。 そして隠し持っていたナイフで個室にユウと閉じこもりユウに激しく迫る。 その愛の強さにユウは過去を思い出し正気に戻る・・・。

この映画は陰湿さを徹底的に排除している。パンチラ盗撮においてもである。 パンチラ盗撮をアクロバティックなものにして白昼堂々とすることで、陰湿さの排除に成功している。 パンチラをアクロバティックなものにする為の修行もしているのである。 普通の盗撮者は道具は工夫するかもしれないが修行はしない。 そういうところも、なんでもないようだが、なかなか出来ることではない。

だから映画のポリシーの骨太さを感じる。ぶれていないのである。映画でいいたいことと、実際の映像がぶれていないのである。 ぶれていると、見ているほうはしらけちまう。

父親に懺悔するために態と罪を作るための屈折した行為の盗撮。 性的欲望の為ではないパンチラ盗撮。ユウはいくら盗撮しても勃起しない。 ヨーコ以外は勃起しない。パンチラはこれでもかといわんばかりにスクリーンに現れる。

圧巻は勿論ヨーコ、満島ひかりのパンチラ。 パンチラのスロー再生もある。

ヨーコは父親に性的に迫られたこともある経験から男を憎んでいる。 男を憎むあまり自分を鍛えその辺の男には負けないぐらいの実力がある。 ミニスカの制服でパンチラは白の普通のパンツである。 ハイキックガールのような黒のトランクスタイプではない。 惜しみなく見せるパンチラは魂の叫びがあった。パンチラの域を超えかかっていた。 ちょっと古いがこちとらハナジブー状態である。

そもそもこのパンチラ、ヨーコ本人はエロと思っていない。 ただ男が憎くて無心に足を振り上げている。だからこそシロパンで堂々と見せている。 エロではなく爽やかな印象さえうける。そういうパンチラなのだ。 迫力もハイキックガールより上に見えてしまう。 ハイキックガールはミニスカートの女性が階段を上る時にバッグでお尻を隠すのと同じ状態だと思う。 つまり無心さが伝わらないのだ。黒のトランクスのパンツの所為で正々堂々としたキックに見えなくなっている。 その邪念は見るものに伝わる。その差だと思う。 (邪念はオマエのほうだといわれそうだが)

武術としては経験者のハイキックガールの武田梨奈のほうが明らかに上だろう。 しかし悲しいかな映画では満島ひかりの方が上に見えてしまうのだ。

満島ひかりのパンチラは国民栄誉賞に値するパンチラだった。 ただただ頭が下がります。あれだけのパンチラと狂気をだしたのだから、 もしおっぱいも出していたら・・・ノーベル賞に匹敵するかもしれない。

しかし何故この映画にはパンチラがあってもおっぱいやセックスがないのだろうか。 そんなこと考えても仕方ないことなのはわかっている。 別に不満があるわけではないからあえて事を荒立てるように騒ぐ必要もないのだが、 セックス描写があったとしても全然おかしくない作品だから余計に気になってしまうのである。

例えばユウの父親とあの女カオリである。 二人が燃えるようなセックスしたのは間違いないが描写は全くない。 あるのはあの女が神父の父親に白昼堂々と迫り押し倒す場面ぐらいである。(この2人のラブシーンはあまり見たくない感じだか) カルト教団の中の映像で乱交まがいの場面があっていいし、 ヨーコが洗脳され一度はユウに助け出され海辺の壊れたバスの中で ヨーコを縛り元に戻そうとするシーンでおっぱいぽろりがあってもいいし、 ヨーコが女装のユウに憧れベッドでオナニーしそうになるシーンで おっぱいがあらわになってもいいし、チャンスは沢山あったのだ。 コイケのエロ仕掛けがもっとあって、そこでおっぱいがでてもおかしくない。 でもコイケによる男根の切断のシーンは勿論男根の映像は映倫的にないのだが、 鮮血とコイケの狂気さで映像はなくても十分想像できた。流石である。

思わせぶりな演技だけで結局何もせずフェイドアウトする方式でお茶を濁す作品が多い中、 流石である。何が流石って、おっぱいを出さなくてもそれでもエロ魂を満足させるからである。 ワタクシの見た範囲での2009年思わせぶり誤魔化し映画はこれだった。(順不同)

 おっぱいバレー →何もない・・・
 ハイキックガール→武田梨奈のバンチラがない
 刺青・月の匂い→さとう珠緒の激しい濡れ場がない(チラシにはあると書いてあるのに)
 クールガールズ→何もない・・・

大いに反省して欲しい。

この映画はタイトル通り愛を描いている。
 歪んだ愛(父とユウ)、
 純粋な愛(ユウとヨーコ)、
 私利私欲な愛(カルト教団)、
 永遠の愛(ユウの母、ユウとヨーコ)、
 一方的な愛(ヨーコと女装したユウ、
 出会った頃のユウとヨーコ)、
 まやかしの愛(ヨーコとカルト教団のコイケ)、
 性欲な愛(父とあの女)、
 虐待的な愛(コイケと父親)

 ・・・これだけの愛をむきだしにしている。

しかしわからない。どう考えてもわからない。 これだけの愛を表現するのにおっぱいの1つもないのは何故だろう。 セックスシーンが1つもないのは何故だろう。 どうして監督はおっぱいもセックスシーンもなしにしたのだろう。 フランス映画だったらバリバリヌードだらけだっただろうに。

ユウのせいだろうか。ユウは純粋な性格なのに終始変態扱いされていた。 ユウ自身も変態を自覚していた。ユウはヨーコにしか勃起しない。 でもコイケの狂気はおっぱいを凌いでしまっていたのかもしれない。 ヨーコの・・・

・・・さっきから堂々巡りである。

よく考えると園子温監督はいつも家族愛を描いてる。 いつもといっても2つしか見てないが。 「愛のむきだし」と「紀子の食卓」(DVD)だけ。でも2009年秋公開された「ちゃんと伝える」 も劇場予告を見る限り家族愛だと思う。「紀子の食卓」におっぱいが出ていたかどうかは忘れたが、 出てなかったように思う。監督は映画におっぱいを出すのが嫌いなのかもしれない。 その代わりに流血なのかもしれない。

すみませんでした。もうわかりません。潔くあやまります。監督今度教えてください。 でもただ1ついえるのは、この映画の狂気と愛がおっぱいを超えてしまったということなのかもしれない。 役者も監督も真剣勝負していることが伝わってくる映画だった。
アシカラズ


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