★ゴールデンスランバー
伊坂幸太郎の小説の映画化。
原作は見ていなくての観賞でした。
去年見た同作者原作の重力ピエロは原作の小説を読んでの観賞だった。

原作を読んでいる場合と読んでいない場合で映画に対する感想は随分違ってくると思う。 最近読んだのと、ずっと昔に読んだというのでもまた違ってくるはず。 なかなか難しいものである。 どっちがいいのか・・・よくわからない。 恐らく小説の種類にもよるし、映画の演出の仕方にもよるだろうし。 でも経験的にはアニメを除いて原作を見ていないほうがいいような気がしている。 一番のネックはネタバレだろうけど、それだけの問題でもないと思う。

しかし知らないということは恐ろしいことで、 観賞して楽しむだけであれば特に問題はないが、 ある程度批評めいた事を書くのであれば、知らなければならないことは多い筈だ。 例えば何かの映画の二番煎じであることを知っているのと知らないのでは評価は全然違ってきてしまう。 歴史的背景なども同様だ。

理屈が多くなってしまったが、えー私は単なるドシロウトの感想ということで、 逃げるとする。アシカラズ。

さてゴールデンスランバー。
この映画良かったと思う。重力ピエロと較べたいところだがあっちは原作読んでるから 残念ながら公平な比較ができねぇー。

物語は総理大臣の暗殺から始まる。 もう最初の10分ぐらいで殺されちゃう。 その現場に主人公の堺雅人はいることになる。 学生時代の友人に眠り薬を飲まされ、目覚めた時はパレードの傍の路地で路駐してる車の中。 実はその友人は人生に破綻していて借金のために主人公を犯人に仕立てることの 片棒を担いでいた。

暗殺が実行されると警官は不審車発見として車に近づいてくる。 友人は逃げろという。 そして車から降りるとその車は友人もろとも爆破してしまう。 そしてそこから主人公は追われ続けることになる。

犯人に仕立てられた主人公が無実を訴えつつ逃げるというストーリー展開をしていく。

でもこの映画は暗殺に関しては殺すだけで、 真犯人を探すとか計画や背景や裏側や人間像なんて何も語らないのである。

それが物足らないという人もいるかもしれないが、 私としてはそれがよかったと思っている。きっと原作もそうなのだろう。 この物語は暗殺の小説ではないということだ。 そういうドロドロとした怨念みたいなのを暴くのが見たいのなら 2時間ドラマのフナコシさんとかを見ればいいんだ。 フナコシさんならちゃんと2時間で語ってくれるだろう。

ただ主人公を犯人に仕立てるための理由付けはある程度演出されてる。 勿論その黒幕は全く出てこないが。 運送業をしていた主人公がアイドルがマンションで暴漢にあった時に、 たまたま配送で関り彼女を助けたけことも理由の1つになっている。 そういう正義感の強いプチヒーローを人選してる。 総理大臣はどちらかというと多少は叩けばほこりが立つタイプの人らしいから、 正義感からの暗殺計画という動機に繋げられるという寸法だ。 また犯行道具はラジコンヘリによる爆破だったのだが、 女(相武紗季)を利用して上手くラジコンヘリをショップに買いにいかせたり、 一緒に遊ばせたりして、ラジコンヘリにも精通しているという事実を作る。 (実はラジコンヘリは整形して主人公になりすましたやつだったような気がする。見てから時間がたったので少し忘れました) それから一番のポイントは彼の性格である。なんでも素直に信じてしまう性格。 仕立てやすいということになる。

結局現場から逃走したことをキッカケに状況証拠を固められ、 彼は警察からそしてマスメディアから犯人と断定されてしまう。 真犯人の思うツボなのである。しかし何度も言うが新犯人に関しては一切触れない。 しつこいようだが真犯人は誰でもいいのである。

1人では逃げられないから逃亡には学生時代の友人に手助けしてもらうことになる。 そこでそれぞれの当時の思い出と今の生活とのギャップを描き、 ほろ苦い青春ドラマ的な展開も見せる。 逃走劇は安直な友人の手助けで成功していく。 しかし安直でもそれが気にならない、というか気にさせないのが流石だ。

安直さを気にさせないというのが映画にとっての生命線だ。 映画なんて2時間もあれば長いほうなんだから、安直にならざるおえないんだから。

この映画の場合は何が安直さをカバーしているのだろうか。

1つは謎解き映画にしなかったこと。(多分原作は元々謎解き小説ではないと思う) でも途中からそれだけではないと感じ始めた。 最初は謎解き映画ではないだけと思っていたのだが、 どうやら警察は主人公を犯人にしたがっているのではと疑問符がつき、 警察もグルであるということを確信した。 つまり警察は犯人を知っていて、元々警察主導の暗殺であり、 犯人をでっち上げるつもりだったということである。 だから誰でもいいから犯人を作らなければならなかった。逮捕しなければならなかった。 そう仮定すると、警察の安直な行動も納得がいくのである。 もう少し引算するなら警察は総理大臣の暗殺ということで面子を潰されたから、 兎に角誰でもいいから早く犯人を逮捕したいだけ ・・・こちらの方が理由としては簡単かもしれないし現実的かもしれない。

何れにしても、警察のそういうヤミの体質、冤罪に対しても、 この映画を通して何らかのメッセージを伝えたかったのかもしれない。

犯人に仕立てられ逃げれば当然親にも迷惑がかかってくる。 当然主人公の実家にもマスコミがインタビューに押しかける。 でも父親は謝らない。マスコミに向って「お前達の報道は1人の人間の人生を変えてしまうことを認識しているのか」 と怒る。そして「チャチャっと上手く逃げろ」と息子にメッセージを送る。 2時間ドラマのフナコシさんなら「逃げるな。兎に角戻って説明してくれ。皆に迷惑かけるな」 というだろう。

こういうところは重力ピエロとゴールデンスランバーは共通している。 伊坂幸太郎の小説は一般市民が本当に言って欲しい気持ちをいってくれるところにある。 重力ピエロでは殺人を犯した息子たちを前に父親は自首しろとはいわない。 殺して当然だという。勿論その父親はごく普通の一般市民風のタイプである。 2時間ドラマのフナコシさんなら「理由はどうあれ人殺しはいかん。自首して罪を償え」というだろう。

ただこの映画で1つだけ足りないと思ったのは、 総理大臣暗殺の瞬間の街の喧噪。 もっと混乱してもっと群衆の動揺をエキストラの人数かけて、 仙台の街を封鎖してまで表現して欲しかった。 あの程度の喧噪の映像では市民もグルか?といいたくなる。

ついでにもう1つ。テレビ局が自局のスクープのために犯人の要望に協力するというところ。 スクープという理由があるから協力したというだけの説明をテーブルに置いただけでは 少し足りない。プロデューサーの浅はかな下心も多少演出されているが・・・ もう一ひねり欲しかった。

何れにしてもやや綱渡り的にではあるが上手くバランスしている映画だ。 あとはキャストによる手助けが大きかった。ミスキャストしてない。 キャストというのは難しい。どんなにいい俳優でも女優も映画に合う合わないがある。 まぁそれも見る側の思い込みみたいなものがあるから、 結局見る側の単なる好みによってしまうともいえる。 (例えば去年の「空気人形」も主人公がペ・ドゥナではなかったら、 ワザとらしくて耐えられなかった。)

堺雅人と竹内結子の組合せf意外に良かった。
ただ堺雅人は変な役者である。
しかしワタクシわりと好きである。
クヒオ大佐も南極料理人も見てないけど。
2007年のヒミツの花園というドラマから好きになった・・・と思う。

私と同じように文才があるらしい。
私と同じようにハンサムである。

先日彼の本「文・堺雅人」を買って読んだ。
面白かった。

主人公の父親役の伊藤四郎も、一時は同棲していた友達の既婚女性役の竹内結子も良かった。 ラジコンヘリの女役の相武紗季もこういうやや意地悪女っぽい身勝手な優しさのある役をやらせたらはまる。 キルオ役の濱田岳もはまり役で、警視庁の香川照之も珍しくよかった。

最後は犯人の死体が海から上がる。(川だったかな?) 整形した別人である。主人公は生きているが戸籍上死んでいる事になってしまう。 そして数年後彼は両親や友達に生きている事を知らせる為に、 それぞれのキーワードを送る。彼らはそれを喜ぶ。

ファーストシーンにエンディングの場面を持ってくるのはよくある手法だが、 それも上手くいっていた。主人公が最後に整形するのを知らなかったから、 あのエスカレーターで竹内結子と偶然一緒になった男はキルオだと思っていたから。

もし原作を読んでいたら、その楽しみがなくなったかもしれない。
アシカラズ


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