★美代子阿佐ヶ谷気分
「愛を読む人」に愛とおっぱいで対抗出来る日本映画は「美代子阿佐ヶ谷気分」。
この映画を見ると救われた気持ちになる。 これで日本の映画界も安心だと。 点数をつけることを許されるならば100点満点で10000点だろう。
漫画家、安部愼一の半生記のような感じである。 福岡から一緒に上京した美代子と同棲生活を送る。 美代子のヌード写真を撮り、それを元にデッサンを起こし漫画を描いていた。 ガロに作品を発表するようになり作家として注目されるようになるが、 実際に体験したことを漫画にするやり方で次第に行き詰まり、 不安や焦りで精神的に追い込まれるようになる。

しかし恋人の美代子は彼がどんな状況になっても離れることもなく常に傍にいた。 彼が分裂症で入退院を繰返しても。

この映画は「美代子のおっぱいと美代子の希望と美代子の失望と美代子の諦めと美代子の母性」 につきる。
おっぱい、ヌード、セックス、全てが母性に包まれている美代子。 そのおっぱいに男が一番欲しい母性愛がつまっている。 勿論それは安部愼一に対するものだけれど、スクリーンを通じて自分までも包まれてしまう。 美代子は母性そのものだ。美代子の母性とおっぱいと声。その声は町田マリー。

「ミヨちゃんってダメねー」
「阿佐ヶ谷の彼の部屋であたし平和よ」

美代子さんありがとう、町田マリーさんありがとう。 監督ありがとう。本当の美代子さん見たことないけど、 もう自分の中では美代子さんイコール町田マリーになっている。

帰り道は頭の中にエンディングの曲「水のようだ」がいつまでも響いていた。 そして誰かのおっぱいが吸いたくなっていた。性欲ではなく赤ちゃんのように。 いや嘘です。性欲もありました。

美代子は映画の中で沢山裸になる。ワンワンポーズもする。 でもどんなことがあっても恥ずかしそうなそぶりは見せずに

「もうしょうがないわねー」っていう感じで脱いでしまう。

そこにも母性がある。男は女に「もうしょうがないわねー」っていわれたいのである。
美代子は幸せな気分の時は近所の店でコロッケを買う。 冴えない感じのオヤジが「ソースは?」と聞くと必ず「大丈夫」と答えニッコリする。 その表情がまたたまらない。 その表情は女性特有な小さな幸せが世界中の幸せみたいになる笑顔だ。女性は偉大だ。 おっぱいは偉大だ。でも男はダメだ。 理想や夢を追うばかりでコロッケに幸せを見つけられない。

男はただおっぱいが吸いたいだけだ。

福岡に引越す場面で片付けに疲れて座っている美代子に 「汗ふいてあげる」といい服を全部脱がす。 拭いてるうちに「おっぱいが吸いたい」というと「吸えばいいじゃない」と美代子はいう。
福岡で結婚し何ヶ月か暮らして埼玉に住むようになる。 病気が酷くなりまた福岡に戻る。「離婚するかもしれない」と美代子はいい、 「オレは美代子に頼るようになってから愛してないのかもしれない。 もうセックスもしていない」と愼一はいう。いいながら2人はいつも2人でいる。

編集担当(佐野史郎)が福岡に訪れる。20年ぶりに会って話す。 3人とも老けメイクはしていない。していないように見える。 小細工しがちなところを敢えて何もせず、見るほうも全く違和感なく見られる。 SF映画じゃないからそれでいいと思う。誰も時間の経過に矛盾をいわない筈だ。 逆にいってはいけない映画だと思う。そういうレベルの判断は不要な映画だから。 きっと40年ぶりでも老けメイクしないだろう。それでも自然に見えると思う。 誰も文句はいわないだろう。

編集者に美代子はコロッケをだす。 やはりそれにはソースはかかってないしソースの容器も見当たらない。 幸せな気分の時はコロッケ。それはずっと変わらないみたいだ。 見てるほうもなんとなく嬉しくなる。でもなんでそんなにコロッケなんだろう。 実在の本人が好きなのか監督が好きなのかわからないけど、 なんだかコロッケに拘っているのが微笑ましかった。

エンディング近くでは
「オレはお前を裸にしてもう1度描きたい。 オレはお前の裸が好きなんだ」というようなことをいうと、
「結局あんたはスケベなだけ。私を裸にして遊んでるんだから」と美代子はいう。 そして「あんた売名行為だけはしないでね。でももうしてるか」と美代子は 淡々といっているが少し嬉しそうに見える。 (この映画のことや息子のバンドのことをいっていると思う)

このセリフは美代子自身が監督に頼んで入れてもらったのではないだろうか。 「息子がバンドをやってるらしい」と編集者にCDを聞かせる。 そのコンポの近くに「スパルタローカルズ」と書かれた雑誌のようなものが置いてある。 編集者が「ほう」といいながら聞いていると、 ライブハウスの映像になり美代子が観客席で幸せそうな顔してる姿が映る。 3秒程度。突然美代子が台所からやってきて煩いからと止める。 でも嫌味は全然ない。その照れ臭さが爽やかでもある。

ラストシーンはテラスのようなところで美代子は昔のことを思い起こしている。 美代子は立ち上がる。そのシルエットは魅力的だ。 そしてエンディングの「水のようだ」の静かなイントロが終り エレキギターのハードなカッティングが流れると同時に 美代子がバレリーナのようなポーズをとり軽くステップを踏む。 5秒ぐらいかな。このポーズとステップがたまらなくよくて ・・・そのへんの浅はかな映画だったら間違いなく浮いちゃう筈。 エンドロールの後2人が阿佐ヶ谷のベッドの上に座っている姿。 「日が暮れるの早いなぁ」といって終わる。2人とも全裸で。美代子のおっぱいがそこにある。

もし自分が関係者なら間違いなく今年のアカデミー賞の最優秀作品にする。
しかしながらこの映画は評論とか公の場で評価してはいけないと思う。 それは映画を独り占めしたいという酷くオタク的な願望でもある。 メジャーの場に出て皆に見て欲しくない ・・・町田マリーのおっぱいはオレだけのものだ、という分けの判らない状態になっている。

男は映画を見て美代子さんと町田マリーさんの母性に包まれればいいのだ。 じゃあ女はどうすればいいの?といわれそうだけど、 お願いだから男尊女卑とか男女平等とかいわないで欲しい。 あれは美代子の愼一に対する愛の形なんだから。 つまりSMとかと同じでそれが愛だからとしか言いようがないから。 美しいだけじゃない屈折した愛。 だから「愛を読む人」みたいに部分的にこのシーンがどうのこうのは全くない。 小賢しい布石的なシーンなんていらないのだ。 愛を語る映画ではなく全体で1つの愛の作品になっているから。


「ミヨちゃんってダメねぇー」(彼の部屋で1人でウダウダと)
「まだあきらめないの」(3場面でいっていた。まだ諦めるなっていってるみたいだった)
「吸ったらいいじゃない」(おっぱいを)
「一人だったらいいなって思ったでしょ」(2人で海にいる場面)
アシカラズ


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