★刺青・背負う女 / 刺青・匂ひ月のごとく 
谷崎潤一郎の刺青を原作にした2つの映画「刺青・背負う女」と「刺青・匂ひ月のごとく」が同時期に上映された。 まるで勝負しているように思える。こんな機会は滅多にないから絶対に見たい。 この勝負は見逃せない。過去の作品との対比ではなくまさにライブの勝負だから。 ここは日本映画の真骨頂でもある「ストーリーではなく状態を描く映画」を是非見せて頂きたい。 おっぱいも是非見せて頂きたい。原作は読んでいないけれど谷崎文学といえばエロチシズムという 予備知識だけで期待は膨らむ一方であった。膨らみすぎてしまって正常な判断が出来ないかもしれない。

何度も映画化されている谷崎文学の刺青をどう料理するのか ・・・というより単純におっぱいとヌードとセックスを期待していただけで、 それでもおくびにもそんな下心は見せずに映画館へ行ったつもりである。 しかしレイトショーということもあり周囲には明らかにエロ魂だけだろうと思われる容姿にもいくらか 問題のある胡散臭そうなハゲオヤジもいた。そんな中うら若きミニスカートの女性が一人で来た。 勝手にドキドキして映画が終わったらどうにかなってしまうのだろうか ・・・なんてまたまた勝手に妄想していると彼女はシアターの中央の列の真ん中に座った。

その列の通路側のオヤジは明らかに浮足立っていた。 このメンバーの中堂々とど真ん中に座るとはいい度胸である。 自分はいつも見るため聴くためにベストな位置とかはあまり考えずに通路側の席にしている。 電車で隅の方に座るのと同じ心理である。半身だけでも自由にしていたいのだ。 そしてゆったりと映画を鑑賞したいのだ。(映画か終わると何事もなく帰るだけだったが・・・)

  ◆刺青・背負う女(監督:堀江慶、主演:井上美琴)

雑誌編集部員の真由美(井上美琴)は家族との接し方に悩んでいた。母親は再婚。 相手には息子がいて劇団員をしている。 劇団員の息子とは時々会ったり劇を観賞に行ってはいるが、やはり何となくしっくりこない。 同じ劇団員の女性には恋人と勘違いされてしまうこともあった。 ある日不倫相手に暴力を振るわれている所をチンピラの平田タケシ(波岡一喜)に助けられる。 平田タケシは彼女に一目惚れし付合い始める。彼の背中には刺青があり、 その彫師は偶然にも以前日本画展の取材をした時に、 魚濫観巫音という絵にひきつけられていた矢野純子(伊藤裕子)だった。 真由美もその絵に魅力を感じていて彼女に取材をしていた。

チンピラの平田タケシは孤児であり両親の愛を知らずに育った。 どことなく心が冷えている真由美に暖かさを取り戻すように献身的に接する。 ある日タケシの命の恩人である組幹部が殺される。 真由美に最後の別れと思い「冷たい心に暖かさを注ぎたかった」 と告げて敵討ちに出かけるが、殺されてしまう。 真由美は悲しみタケシの愛を刻み込むために矢野純子にあの魚濫観巫音の刺青を入れてもらう。 そして真由美は母親から誘われていた家族四人で食事をすることを承諾する。 刺青の見える背中が大きく開いたドレスを着て。というのが刺青・背負う女。

  ◆刺青・匂ひ月のごとく(監督:三島有紀子、主演:井村空美)

ダンスの名手だった両親の後を継ぎダンススタジオを経営している姉妹。 姉(さとう珠緒)は気性が激しく競技会でも優勝するほどの実力。実質経営は姉が行っている。 まだ学生の妹(井村空美)は姉とは正反対の性格で姉に対してコンプレックスを持っている。 ダンスもそれほど積極的ではなかった。しかし妹は本人も気づいていない内に秘めた情熱を持っていて、 姉は妹のその隠れた情熱(才能)に嫉妬していた。

姉は自分のダンスのパートナーが妹の練習相手として踊ることや会話をすることに嫉妬するようになる。 パートナーにも妹と踊るなと告げる。結果的には自分自身のダンスも乱れてしまい、 結局パートナーはコンビ解消を告げ去っていってしまう。 絶望し雨の中を歩いている時、彫師の桐悟に会う。 彼の家には妹に時々送られてくる人形とクリムトの絵が。

彫師の桐悟は姉妹が幼少の頃に二人を見ていて妹の肌にずっと関心があった。 その肌に刺青を彫りたいと思い続けていた。ある日姉は妹が彫師のところにいくように仕向ける。 そして姉の思惑通り妹は刺青を入れる。姉の嫉妬による復讐だったが、 それをきっかけに妹は隠れた情熱が表に出るようになりその刺青を姉に見せ付ける。 というのが刺青・匂ひ月のごとく。

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ストーリー以上に異なるのが刺青を入れる理由。 「刺青・背負う女」では愛のために刺青を入れ、「刺青・匂ひ月のごとく」では愛憎のために。 刺青を入れるまでがある意味勝負で、その為の心の動きをどう描くかが勝負でもある。 それには心の推移を描くには実弾も必要だと思う。実弾とはおっぱいでありセックスでもある。

個人的には「刺青・背負う女」のほうが断然よかった。
主演の井上美琴の大胆なセックスシーンには感動したしエンディングで見せる笑顔もいい表情だった。 きっとあの笑顔は彼女の素の笑顔だと思う。

その象徴ともいえるのがチンピラに助けられ借りは作りたくないからっといって 自分の部屋に連れ込み無理やりセックスするという場面。 現実的には危険であり有り得ない行為だけど、夢を見させてもらったという感じだ。 この映画には彼女以外のおっぱいはなかったけれど、エロ魂を十分満足させる内容だった。 その実弾は心の推移を上手く描いていた。ただ気になるのは刺青を入れて彼女はすっきりしたようだが、 あの刺青を見てあの家族は円満に落着くのだろうか・・・。

「刺青・匂ひ月のごとく」は完全におっぱい不足。
ワタクシ2009年は47本の映画を見たが堂々のブービー賞である。 因みに最下位は「クールガールズ」
※2010年1月9日のブログに順位発表してます

後半も後半の刺青を入れる場面でやっと井村空美のおっぱいがでたのである。 これは大問題だと思う。しかもチラシには「さとう珠緒の激しい濡れ場」なんて書いてあるのに、 彼女のおっぱいもセックスシーンもなかった。抱き合い悶え服が乱れ喘ぎ声だけで 「後は想像にお任せします」という感じで終わってしまうのである。 姉の設定が情熱的で激しいとしているのだからそれでは物足りない。 全裸で濃厚なセックスシーンが見たかった。

もっというと妹と彫師のセックスシーンもあって良かったんじゃないかと思う。 彫師は幼少の頃の妹を見て以来ずっと「あの白い最高の肌に彫りたい」と思い続け、 人形とクリムトの絵を送り続けて、ある意味変質者的に生きていたのだから。 妹にしても内に秘めた情熱は姉に負けないものを持っているという設定だから、 セックスまでいかなくてもドロドロの目を背けたくなるような愛憎表現が欲しかった。

ついでに言わせてもらうと刺青を入れた背中を見せる時に両手を高く上に掲げ手首を折り、 次に背中の肩甲骨のあたりをアップにし肩甲骨を動かすことで描かれた翼を動かすシーンが長く続いた ・・・鳳凰だからなんだろうけど飛立つイメージなんだろうけど ・・・悪いけどシラケマシタ。せっかくの全裸がだいなしです。 残念ながら興醒めでした。

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どちらの作品も少しストーリーを作り過ぎではないだろうか。 もっとわけわからないぐらいの内容で「なんだかわからないけどよかった」 っていう感想が出るくらいの状態を描いたほうがよかったように思う。 例えばダーレン監督の「レポ」のように虚構の世界を、 但しある部分では近い未来の現実的な世界を・・・。

刺青といえば2008年に公開された「蛇にピアス」。
金原ひとみの芥川賞の作品。

吉高由里子のファイトには心底感動した。 金原ひとみの小説って頭のなでぐちゃぐちゃ堂々巡りしている思考がそのまま文章になっているんだよね。 女性らしいっていうか理屈の外側にいるっていうか感情の中にいるっていうか、 男はいつも理屈の内側にいて理屈をこねくり回しているんだよな。 舌にもピアスを入れ身体にも刺青を彫る主人公ルイを吉高由里子が演じていたんだけど、 演じているっていうより本人に思えてくる。おっぱいもセックスシーンもちゃんとこなしていた。 流石でした。吉高由里子は大好きな女優の1人。

出会いは島田雅彦の自由死刑を原案としたドラマ「あしたの喜多善男」。 以来「紀子の食卓(DVD)」を観賞し「紺野さんと遊ぼう(DVD)」も観賞し 「吉高由里子のあいうえお」も読んで心を満たしてきた。「オレはファンだ」とアピールしたくて。(いったい誰に?) ちなみに島田雅彦も好きな作家の1人。 最初の会社を辞めて無職の頃によく読んだ。20代前半だったなぁ。

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後日本屋に行ったついでに気になっていた刺青の文庫本を購入した。
原作を読んで改めて刺青について考えてみようと。

この小説は蛇にピアスより圧倒的に短くて、多くのことは書かれていない。 刺青を彫る側と彫られる側を書いているが、 どちらかといえば彫るほうに文章を割いていると思う。映画とは逆なのである。 というより映画では彫師の狂気の描写がかなり少ない。というよりないに等しい。

「蛇にピアス」ではその狂気をどちらの側からも見ることが出来た。 「刺青・背負う女」と「刺青・匂ひ月のごとく」は彫師の狂気が足りない。全然足りない。 映画化に際しどこに重きを置くかは監督の自由である。 自分がとやかくいう問題ではないのはわかっている。 後から原作を読んでからグズグスいうのはルール違反かもしれないが、 刺青に関しては映画は映画、小説は小説となかなか割切れない。

谷崎潤一郎の刺青の世界を現代の設定の中で表現するのは簡単なことではないのかもしれない。 現代に置き換えた途端、感覚的にも感情的にも無理がでるというか、 嘘っぽくなるというか、白々しくなるというか・・・難しいと思う。 だが映画化すると決めた時点で乗越えなきゃならない問題である。 しかしこの程度の表現力では実力では・・・監督も役者も大いに反省して欲しい。

原作の浮世絵師から刺青彫に堕落した清吉や立派な刺青に惚れる女達の狂気と愚かさと、 蛇にピアスの渋谷で屯している20代前後の彫る側と彫られる側の若者のそれが同じように思える。

刺青と蛇にピアスという小説は似ていると思う。

「蛇にピアス」という映画のほうが、刺青が原作に思えてしまう。


アシカラズ


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