★時をかける少女 

何度も映画化されドラマ化されアニメ化された作品であーる。

今まで見たのはこの映画と、細田守監督のアニメ版(テレビ放送観賞)と大林宣彦監督の原田知世主演のもの。 一番最初は原田知世主演の映画。 そういえば原作読んでないんだ。なんか改めての真実っていう感じ。 今度読んでみようと思う。今更ながら・・・。

仲里依紗と原田知世の比較を書くことになるナァと映画を見る前は思っていたのだが、 何故かそういう気分ではない。 当時の原田知世にくらべたら仲里依紗のが遥かに演技は上手いだろう。 まぁだからといってどうのこうのはないけど。

大林宣彦監督の1983年の作品があるから、 ワタクシのようなオールドファンがいるから、ある意味ハードルが高くなるのは否めない。 ターゲットを誰に絞るのか・・・作る側は誰に見せたいのか、 これは殆どの映画にとって最重要課題だと思っている。 おっぱいの有無にも関ってくる。(この作品は関係ないが) 青少年が見るのと、昔青少年だったオヤジが見るのと、恋人同士が見るのと・・・ そして原作を読んでいるか否かの組合せだけターゲットが存在してしまうのだ。

前置きが長くなったが、よく考えるとワタクシこの映画について何を書いたらいいのかワカラナイ。 書くことなきゃ書かなければいいんだが・・・。

時を超える場面は時計が高速で逆回転して曲がったトンネルの様な中を潜り抜けて 数字が溢れる道を綱渡りして過去へ行くという、 王道中の王道のような時間の遡り方をしていた。 もう少し工夫すればといいたいところだが、それはそれで案外嫌味もなくいいかなと。 奇をてらわずあえてそうしたのだろう。

この映画のミソはやはり1972年へタイムスリップするところを 間違えて1974年に行ってしまったことだ。 間違えなかったら20分ぐらいでエンディングになっちゃうからね。

またまた前置きが長くなったが、何故かこの映画意外に面白かったし意外に素直に見られた。 面白かったんだから別にいいじゃん・・・疑問に思う必要ないだろ・・・なんだけど、 なんていってもこの映画の前にはオヤジという高いハードルがあるのだ。 残念ながら悪いけどそう簡単に合格というわけにはいかない。

元々この映画はネタバレが前提になってしまっているような映画だからいいのかもしれないけど、 そこだけはもうちょっと頑張って欲しかったんだなあという場面がある。

それは秋田行の夜行バスが1974年に崖から転落する事故を、 最初のほうで現在のニュースで過去を振り返る特集として放送している映像を出してしまっていて、 それで1974年にタイムスリップして映画監督を目指している少年、 涼太(中尾明慶)が秋田出身であると、これも出会って割りと直に会話してしまうのである。 そしてエンディングで彼の父親が病気で倒れ、彼はそのバスに乗って秋田に帰るということになる。

秋田つながりが見えてしまう ・・・いくらなんでもそんなに早くエンディングを想像させるなといいたい。

もう少し彼が秋田出身だということを伏せて進めて欲しかった。 どーすりゃいいのかってーと・・・まぁ出身地の話題しないだけでいいと思うんだけど・・・ 映画監督になる事を反対されて田舎から出てきたぐらいで口ごもるでいいいと思うけど。 それである日置手紙がテーブルにあって「オヤジが倒れた。今日秋田へ帰る」とかで・・・駄目スカ。

それから原田知世も特別出演的に出てほしかったナァ。 仲里依紗のお母さん役とまではいわないけど。(因みに仲里依紗のお母さん役は安田成美でした) エキストラ的に通行人で。それで商店街かなんか仲里依紗が歩いていてちょっと ぶつかって、会釈するぐらいで。

仲里依紗は細田守監督のアニメ版でもヒロイン・紺野真琴の吹替えをやっていたそうです。 太宰治の原作のパンドラの匣(冨永昌敬監督)でもヒロイン・マア坊をやっていたそうです。 どちらも見た作品なのに仲里依紗のプロフィール見るまで気付いてませんでした。

ヒロイン・マア坊役では「あっ、こういう女いるよな。 甘え光線のある女」っていう役を 見事に演じていました。 今回もタイムスリップして涼太(中尾明慶)のアパートに強引に住まわせてもらうあたりは 種類は違うものの甘え光線が発揮されていた。 多分あれは演技ではなく持って生まれた光線ものだと思う。 でも今のところ仲里依紗の甘え光線は嫌味じゃない。

ところで役どころが似ている中尾明慶と尾美としのりはなんとなく雰囲気も似てるような気がする。


アシカラズ


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